標高414mの羽黒山全体を
境内とする霊山
朱塗りの門をくぐり、自然の中を歩く……。
それだけで森羅万象を受け入れ心身が浄化されることを感じることでしょう。
山頂へと続く石段と清々しく美しい景観をお楽しみください。
ご案内
高さ24m、幅32m(最上部)の両部鳥居。
大きさでは東北第1位を誇り、朱塗りの美しい大鳥居。羽黒山の象徴とも言える迫力で出羽三山への参拝者をお迎えします。
ここから伸びる坂を神路坂と呼び、神域に入ります。
四季を通してフォトジェニックな場所としても人気です。月山と大鳥居、手前の田園風景が春夏秋冬の彩を添えます。
開創1400年
羽黒山修験道の正統を
今に伝える修行の道場
羽黒山荒澤寺 正善院
能除聖者を開山と仰ぎ、羽黒山を拠点に出羽三山を道場として修行する羽黒修験の本山寺院です。明治時代の神仏分離政策という苦難の時代を生き抜き、伝統的な観音信仰や修験道の儀礼、儀礼に含まれる修験道の思想を現在に伝えています。
黄金堂
羽黒山上より麓まで下り、参拝者をお出迎えする形を現しているのが、御本尊に三十三体の聖観世音菩薩を祀る黄金堂です。その為、山上の三神合祭殿(かつての大金堂)と対をなし、山上に向かう前にご参拝する御堂です。
羽黒山荒澤寺 正善院ウェブサイト
https://hagurosan-shozenin.or.jp/
~門前町MAP~
宿坊とは…
参拝者をお泊めして、参拝前に心身を清めるための宿です。門前町手向は、神道系の宿坊がほとんどで、護摩祈祷などを行いますが、坐禅等をする宿坊もあります。
羽黒山麓の手向宿坊街はその古い街並みと共に、三山信仰者の歴史を伝え、参篭所としての使命を果たしてきました。近年は観光としても注目されており、精進料理も召し上がることができます。宿坊の屋根の軒に掛けられた引綱は火伏せと家内繁栄の守りです。
~参道MAP~
天地金神社てんちこんじんじゃ
1586年に学頭・宝勝院尊量により創建されましたが、兵乱のため大破し、1779年に羽黒山智憲院宥然が再興したと言われています。
明治の神仏分離まで元三大師像の画像をお祀りしたもので、大師堂と称していました。1964年に、須佐之男命をお祀りし、現在の天地金神社となりました。
欄間には中国故事を模したと思われる細かな彫刻、向拝柱には登り龍、下り龍、木鼻には獅子と牡丹、蝦虹梁の上には阿吽の力士像の彫刻が施されています。出羽三山の神仏習合の名残を伝える貴重な建物です。
随神門ずいしんもん
出羽三山神社の表玄関で、随神門より先は、出羽三山の神域となり、神域は月山を越え湯殿山まで広がります。
神域に邪悪なものが侵入するのを防ぐ御門の神を祀っています。江戸時代まで「仁王門」と呼ばれており、1695年に現秋田県由利本荘市矢島の領主領主生駒山讃岐守が、家運繁栄と極楽往生を祈って寄進しました。
祓川と須賀の滝はらいがわ と すがのたき
昔、三山詣では必ず祓川の清き流れに身を沈め、水垢離をとり登拝しました。向かい側には須賀の滝があり、朱塗りの神橋との景観が美しいです。
羽黒山五重塔はぐろさん ごじゅうのとう
羽黒山参道の随神門から約300m、杉並木の中にたたずむ国宝・五重塔は、東北地方では最古の塔といわれ平安中期に平将門が建立したと伝えられます。現存の塔は室町時代に再建、1608年に出羽山形藩主・最上義光が修復したものです。
爺杉じじすぎ
樹齢1,000年といわれている羽黒山中最大の巨木。
かつて対に並んでいた婆杉は1902年の台風で倒木したため、爺杉は羽黒山の中で一番長生きしている古木でもあります。
表参道は全長1.7km、2,446段の長い石段で、両側には樹齢350~500年の杉並木が580本以上続き、国の特別天然記念物に指定されています。
石段には、盆やひょうたん、蓮の花などが33個彫られているといわれ、年月と共に見つけにくくなっていますが、これを全部見つけた人は願いが叶うといわれています。
二の坂茶屋にのさかちゃや
羽黒山の石段参道には、一の坂、二の坂、三の坂の急な上り坂があります。なかでももっとも急なのが二の坂。別名油溢し(あぶらこぼし)ともいわれ、武蔵坊弁慶があまりの勾配に奉納する油をこぼしてしまった、と伝えられています。
そんな二の坂を登りきった左手にあるのが、二の坂茶屋です。茶屋を営む高城さん一家はシーズン中毎日石段を登り、手づくりの力餅やお抹茶をつくって、参拝のみなさんをお待ちしています。
茶屋からは庄内平野を一望できます
「かおり風景100選」羽黒山南谷の蘚苔と杉並木
約300年前、羽黒山第50代別当宥法印が建立した別当寺です。山頂の寺々による、火災で本社への延焼を防ぐために移築した場所です。現在は一部の礎石を残すのみですが、静寂の中に、今なお生い茂る蘚苔と高くそびえる杉木立とが、当時の面影を偲ばせてくれます。
いでは文化記念館には、芭蕉が滞在した当時の建物を再現したジオラマが展示されています。
松尾芭蕉が南谷を訪れた際、天宥別当が建てた別当寺は火災によりすでになくなり再建された建物で、寺院を廻らして造られた心字池や庭に芭蕉は感嘆したといいます。天宥別当の業績を偲んで追悼の句を詠んでおり、南谷の石碑に刻まれています。
南谷は参道からかなり奥に入り、ぬかるみやすいので
足下には十分ご注意ください。