標高414mの羽黒山全体を
境内とする霊山
ここ羽黒山は出羽三山信仰の中心地。月山、湯殿山、羽黒山 3つの山の神様が集まっているパワースポットです。
広大な山内には百八末社といわれる社があり八百万の神々が祀られています。神聖なお山の空気に包まれながら静かに手を合わせ、ゆっくりとご参拝ください。
ご案内
鏡池かがみいけ
御本殿の御手洗池であり、年間通しほとんど水位が変わらず、神秘の池として古くから多くの信仰を集めています。古くから羽黒神が姿を現すことから鏡池と呼ばれています。多くの人々が銅鏡を捧げ、出土した190面が1950年に国の重要文化財に指定されました。
鐘楼と建治元年の大鐘しょうろうとけんじのたいしょう
国宝五重塔に次ぐ古い建物で、鐘には建治元年(1275年)の銘があり、東大寺・金剛峰寺に次ぐ大きさです。
鎌倉時代、幕府は蒙古襲来の折、退散を祈願したところ、山上の池より九頭竜王の光影が酒田の湊に飛行するや海中に没しました。その謝徳により羽黒山に奉ったといわれています。
1973年に国の重要文化財に指定されています。
また、鐘楼は2000年に三神合祭殿と共に国の重要文化財に指定されました。
世界平和の塔せかいへいわのとう
台座に乗せた球は地球を意味し、縦と横の線は日本人と外国人が手を繋ぐことで平和を祈念しています。球の上には開祖蜂子皇子を羽黒山に導いた3本足の八咫烏を戴いています。
斎館さいかん
三の坂を登ったところにある羽黒山唯一の旧寺院で、現在は参拝者の宿泊所や食事処として利用されています。松尾芭蕉も食べた精進料理は、出羽三山で採れる旬の食材を使用し、世界に認められる味です。
出羽三山華の蔵精進料理
(写真の料理は、涼風膳)▶
末社
まっしゃ
末社健角身神社
(たけつぬみじんじゃ)
八咫烏とも言われ道中安全の神
周りには、たくさんの履き物が奉じられています。
大雷神社(おおいかづちじんじゃ)
稲作の守護神・武神
白山神社(はくさんじんじゃ)
白山の神・農業神・出産神・育児神・五穀豊穣・産業開発
思兼神社(おもいかねじんじゃ)
(6柱合祀)知恵の神・市場の神・穀霊の神・道中安全の神
学問、入試合格・出世開運・良縁・延命長寿・開運守護
大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)
山の神・海の神・酒造の祖神、農業・漁業・航海・林業・鉱山業守護
稲荷神社(いなりじんじゃ)
商売繁盛・五穀豊穣・家内安全・病気平癒・恋愛成就・金運・学業など生活全般の神。(衣食住)守護五穀・養蚕・牛馬畜産の神・航海安全・産業開発
八坂神社(やさかじんじゃ)
農業・水難・火難守護
疫病退散・無病息災の神
蜂子皇子
蜂子皇子御尊影
左下は金剛童子、右下は除魔童子
第32代崇峻(すしゅん)天皇の第三皇子。
崇峻天皇が暗殺された際に、聖徳太子の勧めにより宮中を逃れ、船で行き着いた先が鶴岡市由良でした。そこで3本足の烏に導かれ、羽黒山にたどり着きました。
蜂子皇子は、そこで難行苦行の修行の末、正身の聖観音菩薩を拝し、人々の苦を取り除いたことから能徐太子(のうじょたいし)と呼ばれました。そして、羽黒山頂に社を創建し、その後湯殿山と月山も開山したと言われています。
蜂子皇子の肖像画は、不気味なものが多いですが、多くの人の悩み、苦しみを受けた結果そのような顔になったと言われています。
蜂子神社と厳島神社はちこじんじゃといつくしまじんじゃ
蜂子神社は表参道石段の終点鳥居と本殿の間の厳島神社と並ぶ社殿。
出羽三山神社御開祖の蜂子皇子を祀っています。建物は宝形造りで、神仏習合時代は開山堂と称していました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により「蜂子神社」に改称しています。
神社社殿は、2005年に鶴岡市指定有形文化財に指定されています。
厳島神社は、元は川の神であり、財宝の女神である弁財天を祀る弁天堂で、明治以降航海の神である宗像三女神を祀り、厳島神社となりました。
天宥別当
第50代羽黒山別当。
当時出羽三山は、戦国時代の争乱や兵火により、衰微していました。天宥は、真言宗だった出羽三山を天台宗に改宗し、幕府の庇護を得ようと天海僧正に弟子入りし、天海の「天」を賜り宥誉から「天宥」に改称しました。
その後、布教制度を確立し、参道の石を敷き、杉を植えるなどの整備や石灯籠の設置、祓川の崖に水を引いて滝を落とすなど数々の実績を残し、羽黒山の発展に尽力を尽くしました。
しかし、半ば強行に改革を進めていた事もあり、反対派からの工作などで幕府に敗訴し、新島(東京都新島村)に流され、82歳で入寂しました。(新島では島民に学問を教えるなど文化的発展に尽力しています)
……… 天宥別当に関する社殿 ………
東照社とうしょうしゃ
天宥別当が羽黒一山を天台宗に改宗する条件の一つに、東照権現の御分霊を羽黒山に来臨願う役目を申し出ました。
天海僧正は庄内藩の初代藩主である酒井忠勝に働きかけ、1645年に社殿を寄進しました。酒井家は徳川家の重臣だったことから歴代藩主が崇敬し、維持されてきました。
明治時代に東照宮は東照社と改められ、現在の社殿(3間5間)は1980年に解体復元したものです。
出羽三山神社に残る数少ない古建築物として貴重な存在として、2005年に鶴岡市指定有形文化財に指定されています。
天宥社てんゆうしゃ
天宥別当を祀った神社。
現在の社殿は、1992年に建てられたものですが、古くから崇敬され、神仏分離令前は御霊社に祀られていたそうです。社殿の前には、新島より寄進された石灯籠が立っています。
三神合祭殿は、神仏習合時代(江戸時代まで)は権現堂とも呼ばれていました。昔から雪深い冬期は月山と湯殿山に登拝できなかったことから、明治以降、羽黒山の出羽神社に月山と湯殿山の神を合祀し、「三神合祭殿」と称するようになりました。
2000年に国の重要文化財に指定されました。
社殿について
本殿は、拝殿と本殿が一つの屋根に収まっている権現造りです。内拝殿には、月山・羽黒山・湯殿山の三神が祀られ、内内陣は、御深秘殿があり古来17年毎に式年の造営が斎行されています。
様相は、高さ28m、桁行(長手)24.2m、梁間(短手)17m。屋根の厚さ2.1mに及ぶ茅葺、用材は主に杉、内部は総漆塗りの豪壮な建物です。
本社でこの世の幸せを祈られたあと、
仏様に手を合わせ、
霊祭殿で先祖のご供養をすることができます。
霊祭殿
れいさいでん
出羽三山は古来より、祖霊安置の山とされ、深い信仰をあつめています。霊祭殿において、御祖大神のもと、御霊のご供養、慰霊を祈ることができます。
千佛堂(仏像安置堂)
せんぶつどう(ぶつぞうあんちどう)
参集殿と霊祭殿を結ぶ役割を担い、酒井家18代当主酒井忠久氏よりご揮毫頂いた社額が掲げられています。天井には画家の加藤雪窓より揮毫頂いた天井画竜頭が飾られています。
お堂には、約250体の仏像が安置されており、その多くは境内にあった諸堂や寺院に祀られていたと伝えられているものです。
参集殿さんしゅうでん
地上2階、地下1階の母屋造り銅板一文字段葺(だんふく)、従来の直務所の機能に参拝者の受入施設、神職養成所機関、さらに儀式殿もあり、多目的な場になっています。
1915年に出羽三山神社の宝物館として設立。1952年博物館法の指定を受け、「出羽三山歴史博物館」と改称しました。
鏡池から出土した銅鏡190面や銅燈籠竿などの重要文化財をはじめ、仏像や太刀銘月山、修験道の四季の峰に関する資料など霊山に相応しい優れた品が数多く展示しています。
-
鏡池出土銅鏡
国指定重要文化財
平安時代から江戸時代の銅鏡190面。
羽黒山山頂の御手洗池より出土したもので「羽黒鏡」と呼ばれてます。
種類は、和鏡が8割強、儀鏡、湖州鏡式鏡唐式鏡があります。 -
銅燈篭棹
国指定文化財
高さ112cm 口径40cm。
1352年の銘が陰刻してあり、火袋と笠と基台が失われ、竿だけが残ったものです。
竿には不動明王を現わす倶利加羅龍王が陽刻されています。 -
太刀銘月山
国指定美術品指定
長さ70.3cm。南北朝時代のもので、月山派の特徴「綾杉肌」がよく整っている。
開館時間 | 10:00~16:30 (入館16:00まで) |
---|---|
休館日 | 毎週木曜日(7月・8月は無休) ※11月下旬~4月中旬は冬季休館 |
料金 |
|