十四万石の城下町として知られる鶴岡の城は、鎌倉時代に築かれた「大宝寺城」が最初といわれます。慶長八年(1603)には最上義光によって「大宝寺城」を「鶴ヶ岡城」と改称されました。
その後、元和八年(1622)に徳川四天王のである酒井忠次の孫・忠勝が入封して庄内地方を治めてからは、安定した藩政統治のもと城下町として発展してきました。
譜代大名の転封が相次いだ時代に一度も移封がなかった数少ない大名の一つで、有名な天保十一年(1840)の三方領地替では百姓らの転封阻止運動によって幕命が撤回されるなど、藩主と民の絆の強さを物語っています。
そして城は廃藩置県で取り壊されましたが、酒井家当主は今も『殿様』と慕われこの地に住んでおられます。
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酒井氏の家系は代々左衛門尉(さえもんのじょう)を名乗る代々左衛門尉家で、初代広親から数えて7代目が酒井忠次になります。徳川家の家紋として有名な「三つ葉葵」は、元々はこの左衛門尉酒井家のもので、6代目の忠善の代に徳川氏の家紋として献じ、代わりに「丸に鳩酸草(かたばみ)」を与えられたと『酒井家世紀』に記載があります。
石川静正作油絵「鶴ヶ岡城図」(荘内神社 宝物殿蔵)
鶴岡公園は、鶴ヶ岡城の城跡を整備している公園です。お堀や石垣、樹齢数百年の老杉に城の名残りを感じさせます。
荘内神社の屋根瓦にも鶴ヶ岡城の瓦を使っています。酒井家の家紋、丸に鳩酸草紋を探してみてください。
石川静正作油絵「鶴ヶ岡城図」からは武士たちの足音が聞こえてきそうですね。石川静正は、西郷隆盛の肖像画も残しています。
酒井家の石碑・像
- あ
酒井忠良公書の石碑
この地がかつて鶴ヶ岡城であったことを示す石碑。 - い
酒井調良公胸像
松ヶ岡の開墾や種無し柿の苗木の普及等に尽力。 - う
酒井忠明公歌碑
平成十五年の宮中歌会始で召人として詠進された歌 - え
酒井忠徳公頌徳碑
士風の刷新と藩政の振興のために致道館を開設しました。
偉人・天皇の石碑
- お
平田安吉遺徳碑
稲作技術の向上と産業の近代化に貢献した功績を讃え建立。 - か
林文庫記念碑
レントゲン診断の領域で偉大な功績を残した林信雄の碑。 - き
石原莞爾生涯の碑
「帝国陸軍の異端児」と称された鶴岡生まれの軍人です。 - く
明治天皇御駐輦碑
行幸で視察された際、馬術などを ご高覧された記念碑。 - け
発明王斎藤外市胸像
電動織機、飛行船等を発明、完成させた鶴岡の発明
文化人の石碑・像
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和田光利句碑
鶴岡生まれの自由律俳人・和田秋兎死の句「海神」より。 - さ
土屋竹雨詩碑
漢詩研究の第一人者で詩人。碑は「望郷の詩」から抜粋しています。 - し
松平穆堂の顕彰碑
書道の大家。鶴岡書道会を設立し書道教育の発展に尽力しました。 - す
「雪の降るまちを」モニュメント
この名曲の発想の地であることを記念し建立。 - せ
藤沢周平「花のあと」案内板
直木賞作家・藤沢周平作品の原風景、ゆかりの地に設置。 - そ
高山樗牛文学碑と胸像
明治時代に文芸の論壇で大活躍した評論家。「太陽」主宰。 - た
吉田苞竹の顕彰碑
黒崎研堂の門下で書道と漢籍を学び、書道界の創立に尽力。 - ち
阿部武雄顕彰碑
昭和流行歌の作曲家。
ご神木
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遠賀原のケヤキ
かつて遠賀原にあった樹齢八百年余のご神木を祀っています。